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池袋餓死事件についてー生活保護池袋餓死事件についてー生活保護
基本的に生活保護を受けていても、通常の生活を送ることは可能です。しかし、自分の意識として、肩身が狭く感じるのかもしれません。
このような事情が原因と見られる悲劇が実際に起こっています。それが池袋母子餓死事件です。
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生活保護を受ける資格が十分あるのに、申請をしないという人が多く見られます。特にその中でも高齢者にその傾向が多いと専門家はよく言います。それはなぜでしょう。
その理由として、多く言われているのが「生活保護=恥」という意識の強さというところにあるようです。
もしこのような人が生活保護の申請をすると必ず伴うことが扶養照会です。これは親族の中に扶養することが可能な人がいるのかどうかについての確認を行うことです。
このとき、もし申請者が高齢の人の場合、この通知が子供や兄弟に行くということになります。すると彼らに生活が苦しいということがばれてしまいます。特にこの照会が一時期、厳格化したこともあり、この時点で申請をあきらめてしまう人も少なくないようです。
この理由として、ある専門家の意見として、日本人古来の美意識にその答えを求めている人がいます。確かに、戦時中は捕虜として捕らえられて生き恥をさらすよりは自決して死を選ぶことが美徳であるという風潮がありましたし、「武士は食わねど高楊枝」という言葉もあります。
基本的に生活保護を受けていても、通常の生活を送ることは可能です。しかし、自分の意識として、肩身が狭く感じるのかもしれません。
このような事情が原因と見られる悲劇が実際に起こっています。それが池袋母子餓死事件です。
これは1996年4月27日、池袋のとあるアパートで、高齢の母親と寝たきりの息子が餓死しているのが発見されてことから始まります。彼らは、母親の年金のみで生活をしていて、後は貯金を切り崩して生活をしていましたが、それも底をつき、食べるものが手に入らずに餓死したという事件です。年金に関しては4万から10万と報道によってばらつきがあるようですが、とにかく生活保護の受給対象になる世帯であることは確かなようです。
ところが彼らは申請をすることもありませんでした。また、母親がその困窮の様子を日記として書き残しています。中には行政への不信感も含まれていたということです。
しかし、どうやらこの母子はあまりそのような救いを求めていたという感じはなかったという意見が、周囲の人たちの間では多かったようです。どちらかというと、社会からシャットアウトしていて、近所の人たちも、そこまでこの母子が苦しんでいたことすら知らなかった人もいたほどです。
しかしここに、これからの行政の課題があります。つまり、見殺しをするわけにもいかない、しかしこの母子のように自ら積極的に社会とはかかわらないタイプの人にどこまで踏み込んでいくのかについての問題です。あまりに、他人が世帯に踏み込んでいくのは、プライバシーの観点からも問題が生じることになります。
ですから、生活保護についての詳しい説明を徹底することが必要ではないでしょうか。われわれには文化的な最低限度の生活を送る権利があります。その権利を行使しているのだという意識を国民に植え付けることができれば、このような悲劇を繰り返すことはなくなるのではないでしょうか。